インドネシア在住 その他 |
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神道 有子 さん | じんどう ゆうこ | |
平成18年度アジア学科卒 / インドネシア | ||
世界の村で発見。 600人の村民の中でたった一人の日本人 |
私は、大学に入るまでインドネシアのことはほとんど知りませんでしたが、大学で第2外国語に最もマイナーなインドネシア語を選択したのが最初の縁となりました。
語学を勉強するうちにその背景にある歴史や社会、そして文化といったものにも触れ、実際に研修旅行で現地に行ってみてインドネシアの雑然とした面白さ、食べ物、挨拶、交通や建物、宗教など全てが当時の私の常識を覆すようなことばかりでした。その後2度の短期留学でたくさんの人と知り合い、活動を通して見たもの聞いたものはとても新鮮で楽しく魅力的だったのです。一方、楽しいばかりではない嫌な面や短所を見てこそ、インドネシアという国を知ったことになるのではないか「短期の滞在では物足りない」と思い始めました。
新店舗オープンにともない、閉店後の店で従業員と簡単な食事と祈りの会をした時のもの。食事と祈りの会はインドネシアの伝統的習慣。ターメリックを使って黄色くしたご飯を円錐形に盛った特別な料理で祝う。
ちょうどその頃、インドネシアでの就職を支援してくれる団体の紹介で、日本人社長が立ち上げた日本食のスーパーマーケットに就職先が見つかりました。私が配属されたのは首都ジャカルタから高速で3時間ほどの所にあるバンドン(bandung)という地方都市の店舗でした。入社してひと月ほどで新規オープンしました。店長は現地の方で、私は新人でありながら日本人ということで商品の管理や100人近い従業員の指導や総括を任されました。仕事として訪れたインドネシアは、学生時代に見たものとはまた異なる様相をしており、とても良い経験を積めたと思っています。吸収すべきことが多くある中で、貧富や格差の激しい社会、途上国としての経済における日系企業の役割、仕事における文化や宗教からくる要素、全てが日本では経験することのできない出来事で、たくさん考えさせられました。その基盤として、大学で身に付けた語学、知識、そして物の見方、考え方は大いに役立ちました。
2011年現に現地の方と結婚をし、退職しました。今は夫の実家があるウォノソボという小さな村でたった一人の日本人として暮らしています。今以て魅力の多い国です。当初の望み通り嫌な部分もたくさん見ましたが、どこか憎めないと思っています。今は子育てに専念していますが、そこでも日本とはまた違った環境であることで日々発見や驚きがあって飽きません。いつか子育てが終わったら、また仕事をしてみたいと思っています。きっとまだまだ知らない世界が隠されているのだろうと期待をしています。
インドネシアでは中々手に入らない日本の食品などを中心に販売するスーパーマーケット。生魚は食べないので、日本人用に鮮魚コーナーもあります。
INFORMATION
ブログ:「ウォノソボ戦記」で公開中。子育ての様子など楽しいブログです。ぜひ覗いてみてください。
https://ameblo.jp/wnsb-meke/