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2025年4月
視覚におけるスポーツ的〈意味〉の共有化
スポーツは実践の対象ですが、その実践からスポーツについて考えることもできます。
その際に着目すべきは、スポーツ独自の〈意味〉です。
なぜならば、それらが各スポーツを特徴づけているからです。
例えば、サッカーにおいては、野球には存在しない〈オフサイド〉などがあります。
また、野球においては、サッカーには存在しない〈タッチアップ〉などがあります。
これらをスポーツ的〈意味〉と名付けることができます。
競技が成立するためには、このスポーツ的〈意味〉を「私」個人と対戦相手である「他者」が視覚において共有する必要があります。
ここでは、この点について考えてみたいと思います。
まずは、先に述べたタッチアップを例にしてみます。
「私」のチームが攻撃側であり、1アウト、3塁の場面で「私」が3塁ランナー、「他者」である皆さんは守備側チームとして外野を守っている場面を想定してください。
さて、その場面において外野方向に飛んだ特定の打球は〈タッチアップ〉可能なボールとして判断されることになります。
この〈タッチアップ〉は野球独自の意味であるだけでなく、「私」および「他者」である皆さんの知覚において共有化されています。
これに対し、野球を知らない文化圏の人々にはそのボールはどのように知覚されるでしょうか。
それらの人々も打球の高さや速さなどを知覚することはできますが、それをタッチアップ可能なボールとして知覚することはできないでしょう。
つまり、野球の競技形態の一つであるタッチアップをめぐる攻防が成立するためには、「私」と「他者」である皆さんが特定のボールを〈タッチアップ〉可能なボールとして判断する視覚を共有することが必要になります。
このように、スポーツにおいては互いの競技者がスポーツ的〈意味〉を視覚において共有化しているという点に着目することにより、競技者の実践からスポーツについて考えることが可能です。
健康科学部 健康スポーツ科学科
准教授 河野 清司